大学生活で感じた本音と建前。大人への一歩。
新年度が始まりましたね。最近は多忙です。多忙ですので何もできません。
意味がわからないですね。心のキャパオーバーですね。
そんなときは整理してできることからやるのが一番いいんだと思います
この記事は、なんの答えもまとまりもないクソ記事です。
だらだらと思うことを書いています。
なにか思うことがあれば嬉しいです。
本題です。私は大学に通算3年間在籍しています。大学で学んだことは教養や専門的知識だけではありません。
大学の新入生向けみたいな授業でこんなことを教授が言っていました。
「大学は関わりたくない人と関われる所だし、関わりたくない人とかかわらなくて済むところ」
意味がわかりませんでしたが最近良くわかるようになりました。
まず前提を少し長いですがお話します。
私はサークルに所属していました。しかしそこで揉め事が発生し、結局私はそのサークルとを離れることとなりました。もちろん私に非があった部分もあります。
その時のことですが私は当時2年で、当時4年の先輩に苦言を呈しました。
その先輩とは仲も良かったですが、どうしても気に食わないことがあったんです。
その先輩はそのサークルの親玉。ボスザルという感じで、いいとこも悪いところもあったと思いますが、ただ批判だけで終わるような悪い人ではなかったことを、言って置かなければいけません。
ですが、気に食わないことがあった私は苦言を呈したわけです。その結果揉めに揉めました。荒れに荒れました。火種を作ったのは私であり、強く責任を感じた部分もありましたが、間違ったことは言っていないという自信があったために引くに引けませんでした。
ここからが核心。
その時、当時3年の先輩に言われた言葉が今でも忘れられません。
「本音と建前を区別しなよ」
この言葉が今でも私の頭をぐるぐると回っています。
大人になるというのはそういうことなのでしょうか。私が子供だったのでしょうか。
建前でその場をしのぎ、よいしょしていれば物事は良くなるのでしょうか。
事なかれ主義の典型的思想なのではないでしょうか。
確かに。私が社会に出てこんなことばかりであれば、うまくやっていけないことなんて分かっています。家族がいるのに上司を殴ることはないでしょう。
しかし、どうしても許せないことがあるときでさえ、自らの声を押し止めるべきなのでしょうか。
私はその答えが未だに出せません。それ以来、正義とは何なんだろうと思うようになりました。本音と建前が大切なんだろうと思うようになりました。
その時から自分は大人になって、自分を失ったんだと強く感じます。
こんなことをこのブログに書いたってなんの意味もないことはわかっています。
ですが自分の思いを言葉にしたかった。それだけです。
本音と建前。それが上手い人間は、うまく生きていけるのかもしれない。
答えのない問題を悩む時間は無駄ではありません。
大学とは、知識を学ぶだけの場所ではありません。自分自身を見つめる場所なんだと思っています。
新入生の皆さん。がんばりましょう。